彼の原動力となったもの
この数日間、家のやるべきことを粛々とこなしている。
正確には溜め込みすぎたタスクを今更片付け始めた、というのが正しい表現かもしれないが。。。。
以前、「仕事の自分がプライベートの自分を侵略したせいで、結果として家の事をやっている」という記事を書いたことがある。
あの時は一種の強迫観念から家事をしていたが、今はまた違う由来で行動していた。
それは、突如として舞い降りた「あこがれ」であった。
先日、友人宅にお邪魔したのだが、赴いた物件がオートロック(正確には言葉が違うかもしれない・・・1階のエントランスが自動ドアで鍵がないとまず1階の時点で出入りできないタイプ)
であった。ここに着目する感性は恐らく自分だけだろうという自覚は充分にある。
幼いころからアパート暮らしで、上左右からは見知らぬ生活の音。
それが嫌というわけではなかったが、なんとなく「裕福ではない生活」というのは分かっていた。
用意されたエントランス、音を気にしなくてよい生活。
昔から持ち合わせていたマンションという物件への憧れ。ちゃんとした生活。
極めつけに、友人宅では大変に楽しい時間を過ごした。
これがトリガーだったのだろう。
家路に着くと、自分の中から声がした。
「今の生活は、絶対に憧れていた生活じゃない。」
出しっぱなしの備品、洗い物が溜まった台所、乱雑に散った書類たち、未だにはばをきかせている、引越しのダンボール。
ちっとも素敵じゃない。
まさに一念発起とはこのことだろう。
転勤して労働環境は大きく変わった。引越先もエントランスこそ無いけれど、音があまり気にならないマンションタイプになった。
切り替えるには今しかないのでは?このまま自堕落な生活を続けるつもりか?
わたしは自分に喝をいれた。
何をするにも遅いということはない。ツイッターで見かけた、黒柳〇子の言葉をかみ締めながら行動を起こし始めた。
あこがれの未来、なりたくないという反抗より、なりたい!というエネルギーの方が自分は動いてくれるのだなと、この数日で実感している。
今日で3日目、たまった書類の断捨離をしようと思う。
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憧れといえば、このブログのスタートの動機もあこがれの気持ちからでしたね。
こうなりたい!という気持ちは、万事を変化させる最高のスパイスなのかもしれません。
ひとまず、家が綺麗になったら友達を呼んですき焼きなんてしたいねと話し合ってます。
それではまた。