ゲンガーとスライムとパラディンズ

思ったことのアウトプットの練習や、日々のことを書くかもしれません。要するに雑記。

てろり、てろり

この記事を書いている今、マクドナルドで食事を済ませている。
アルバイトとは違う、お客様係なる札を付けた店員さんの接客は段違いに気持ち良く、思わずこちらも笑顔になった。
きっとこの非常に丁寧な接客が出来る彼女の真の仕事はクレーム対応なのだろうと、同業のよしみから察する。
「とても素敵な接客ですね」と伝えたかったのだが、少し気はずかしい思いがこみ上げ、伝えられなかった。
仕事とは言え、お客様に褒められることは嬉しいことに間違いない。少なくとも自分はそうだ。
次回同じ人に当たった時は伝えようと決意したところで注文の品が手に届く。
店内席をざあっ、と見渡すとなにやら楽しげに会話する女子高生2人組、コーヒーを飲みながらPCを睨みつけるサラリーマン、談笑を楽しむおば様方、色々な人が席を埋めていた。

自分もこの中の一人になる。
対面の眼鏡をかけたちょっと素敵な奥さまはどうやら少々時間をもてあましているようで、スマホをちらちら見たり、プレートに乗った紙の広告を読んだりなどしている。
誰かと待ち合わせまでの時間を潰しているのだろうか。
そんな奥さまに想いを馳せたところで、もしかしたら奥さま以外の人も何か目的があって今ここで食事をしているのだろうかと考えはじめる。
先ほどから私の目は店内にいる人はみんな他人で、いわゆる「モブ」といった感覚で映っていた。
けれども、先ほど綴った奥さまにとっては対面に座っている青年こそ他人で、どうしようもなくどうでもいい対象なのだろうということを勝手に思い知らされる。
ここにいる人、いや街中ですれ違う人全員そこにいる意味があり、そのひとりひとりが主役の人生を送って今私の肩を掠めたのだろうと思うと果てしない感情が押し寄せてくる。

他人なのだけれど、モブではない。
自分含め、その人のストーリーが必ずついて回ると思うと、何となく人類は多すぎるなあと何故か感じたところで、思考が疲れてきた。
先日述べた着地出来ない状態である。
なので稚拙ながらこの状態で投稿しようと思うが、どうか許してほしいところだ。
数を重ねて上手くなろうとおもう。

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私の好きなアーティストの曲に街中ですれ違う人を「出会いと別れを瞬間で行っているよ」という歌詞があるのですが、もしかしたら会話をしてないだけで自分も奥さまに出会って別れを告げていたのかなーと思うと、面白いですね。

ではまた。